briefeannatsuの日記

読書メモ

2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧

わたしはわたしの王女様である そしてその民である

8月に生まれる子供 大島弓子 2年ほど前の今時分、映画を見たあと喫茶店で話し合う会に共に参加した名も知らぬ女性と、駅までの道とホームに電車が来るまでの僅かな時間お喋りした。 その時、話題に上ったのが大島弓子だった。 わたしは わたしの王女様であ…

『エーミールと探偵たち』の日々 はじまり

エーミールと探偵たち エーリヒ・ケストナー 作 高橋健二 訳岩波の全集で読む。こないだ読んだ『わたしが子どもだったころ』同様、愛らしい装丁。少年文庫の装丁もシンプルでよいけどね。ケストナー、こんなにも私事を出す作家だったとは。遠いお国の、生きる…

『ハロウィーンがやってきた』の日々 おしまい

ハロウィーンがやってきた レイ・ブラッドベリ 作 伊藤典夫 訳まだ明るい夕方の電車内で爽やかに読み終えた。「いつも昼は終り、いつも夜が来る。それで、いつも心配しているんだろう、そこの猿人? ミイラでもいい、もしかしたら太陽はもうのぼってこないんじ…

『ハロウィーンがやってきた』の日々 はじまり

ハロウィーンがやってきた レイ・ブラッドベリ 作 伊藤典夫 訳晶文社「文学のおくりもの」シリーズ。歌を歌うように読めてしまう。 音読向きの文章だと思った。 滑らかに気持ちよく言葉の波に乗っていると、うっかり意味を取り損ねてしまう。 時々人間世界のホ…

『わたしが子どもだったころ』の日々 おわり

『わたしが子どもだったころ』 エーリヒ・ケストナー作 高橋健二訳電車内にて読了。 男の子の母親とはなんと幸せな存在なのでしょう! 男の子にもよるだろうけど。

『わたしが子どもだったころ』の日々 ヒースのかおり

わたしが子どもだったころ エーリヒ・ケストナー 高橋健二訳「わたしたちはコケモモの実を摘んだ。ヒースのかおりがした。松のこずえが音もなくゆれていた。」 ヨーロッパの小説に、たびたびヒースという植物が登場する。恥ずかしながら、どんな外見でどんな匂…

『わたしが子どもだったころ』の日々 はじめ

わたしが子どもだったころ エーリヒ・ケストナー 高橋健二訳 数日前から読みはじめた。 「忘れてしまったことは古く、忘れられないことはきのうあったことだ」 優しい断定。

『溶ける街 透ける路』の日々 おわり

溶ける街 透ける路 多和田葉子 台所の椅子に座ってのひと休みついでに読了しました。 現実は、それを映す個人の目によって、いくらでも変容するのですね。私も良い目を持つよう努めます、これからもっと。